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シーボルトはアオバトを見たか 

私のアオバト仮説 その7

田端
2002.03.02

アオバトの学名はTreron sieboldiiである。
今回の仮説は、アオバトときわめて縁が深い、学名にも登場するシーボルトのことを調べてみた。
それはオランダへのメールで始まった。

ライデン博物館からメールが来た!

 こまたんあおばとホームページの管理者・大坂英樹さんがライデン博物館(オランダのNational Museum of Natural History Leiden)のホームページを紹介したのを読んだ斎藤常實隊長が“オランダにメールを出して見たら”と大きな声で独り言を言い、こまたんメンバーの白田則子さんがライデン博物館に“アオバト標本について教えてください”と発信したら、早速返事が来たのだ。

 どんな標本が保管されているのか、その標本は日本のどこで獲られたのか、海水吸飲について記載はあるのか、シーボルトはなにか書き残しているのか‥などいろいろ尋ねたのだが‥‥。

 

ライデンからのメール


 Temminck の1835 年記述によるアオバトSphenurus (or Treron) sieboldii)の基準標本三体(three type specimens)はライデンのPlanches Coloriees, livraison 93, plate 549に確かに保存されている。
 一体はシーボルト収集によるオス(Siebold (number RMNH 87879, male)、残りの二体はシーボルトの後継者H. Buger によるオスとメス(RMNH 87880, maleand 87881, female)で、三体とも収集箇所は『日本』とある以外の詳細は記述されていない。 収集年も記録にない。
 ライデン博物館の方針として、(科学的、学術的)目的を知らずに(基準標本を含む)収集品の写真は提供しないことになっている。また写真は撮影料がかかるため有料である。

Dr. R.W.R.J. Dekker Curator of Birds

 

 そうか、3体のアオバトの標本のほかにはデータはないのか。標本写真はぜひほしいが、この際、アオバトを世界へ紹介したシーボルトがなにか書き残していないかと文献を調べてみることにした。

シーボルトの“江戸参府紀行”を読んだ

 シーボルトの日本での生活は、“わが牢獄”と彼が呼んでいた出島(長崎市)と後に開設し居住が許された長崎郊外の鳴滝塾とに限られ、江戸参府以外には日本各地の自然に親しむ機会はなかった。
 野外での植物採集も出島以外でも特別に許可されてはいたが、彼を慕って集った日本人学者たちとの情報交換で彼は知見を深めた。
 1826年、シーボルトは出島から下関へ、そこから船で瀬戸内海を航海し室(揖保川河口)に上陸、姫路、大坂から京に出て、そこからは東海道をたどり江戸に着いた。帰路はほぼ同じルートをたどった。
 このときの江戸参府の際の彼の日記を読んでみた。
 2月15日(太陽暦)出島を発って4月10日に江戸着、一ヶ月以上の江戸滞在、5月18日江戸を発ち7月7日出島に帰着するまでの彼の紀行文から、野鳥について触れた個所を抜粋してみた。
 2月18日【佐賀附近】アトリセキレイツグミカラススズメガンカモツルカササギ 20日【内野】キジヤマドリ(秋や冬には鳥は木の実や芽を食べる。ヤマドリキジの胃はたいていヒサカキの実でいっぱいになっていて、その青い色素で胃の内壁はすっかり染まっていた) 3月9日【室津】(低い畑地でわれわれはシラサギを見た。これは日本人がコシラサギと対比してオオサギと呼んでいるもので、テンミンクがArdea egrettoidesと名付けた種類のように思われる。このサギはArdea albaArdea garzettaの中間種で、両方とも日本にいるけれども、前者は非常に珍しい。この鳥にトサカはないが、首のつけ根にも背中にも大変珍重される剛毛のような羽があって、成長した鳥では、時に翼より五寸も長い。雪のように白いサギは魅惑的な姿をしている。この鳥が姿を現すと、農民の心に一種の畏敬の念を起こさせ、ツルやその他のサギ類と同じように幸運をもたらすものとみなされているのは、別に不思議ではない。彼らは雪のように白い小さいアトリの一種を持ってきた。非常に珍しいと言って驚くほど高い値段をふっかけたが、その値段ではこの珍鳥を買いきれなかった。
 ヒバリ
は日本では一般に分布している。一瞥したところヤマヒバリに似ているように見えるが、ヤマヒバリよりはいくらか大きく、いっそう強い嘴と長い尾羽を持ち、色の違いも明白である。わが国のノヒバリAlauda arvensisi)に近いがもっと小さく、尾羽がもっと白い。日本にはそのほかたくさんの種類のヒバリがいる。人々はそれを五つに分けている。1. クキヒバリ 2. カクヒバリ 3.ヒャクヒバリ 4. キヒバリ 5. タヒバリ。しかし、タヒバリというのは早春にしばしば田に姿を現すAnthus pratensis のことであろう) 26日【土山附近】(大変よくできている剥製の鳥をいくつか買い求めた。2羽のトキで、赤いバラ色の翼を持つものと、もう一羽は白い羽があるものだった) 29日【池鯉鮒】稲田にトキ。 31日【新居】カモメウミネコ
 4月4日【興津】鳥籠のウズラアホウドリ♀を買う 8日【大磯】影をおとす松の並木が大磯まで続き、われわれはそこで昼食をとった。このあたりは海岸に向かって非常に平坦である。魚の多い海に恵まれた村々は、なんといっても人通りの多い街道のおかげでうるおっているように見える。10日【六郷川】ツル 12日【江戸】島津侯から生きている鳥などたくさんの贈り物を受けた。 5月4日【江戸城】白サギ・数百のノガモバン 江戸からの帰路 5月20日 平塚・大磯を過ぎ海岸に沿って小田原へ旅を続ける。大磯の村で伊勢藩主の行列と出会う[このときも大磯で昼食をとっているが、野鳥についての記述はない 田端注] 6月15日【西宮】ツバメの巣


シーボルトは野外でアオバトを見たか

 シーボルトは医者として知られているが、サギヒバリについての記述でわかるように鳥学についての知識もあった。医者としては薬の基礎となる動植物学は必須知識で、彼は一級の博物学者でもあった。
 シーボルトの長男アレキサンデルの『シーボルトの最終日本紀行』(小沢敏夫訳)には鳴滝について“此の別荘は、サラサラと流れる小川の辺りの七面山へ参詣する通路にそひ、実の食べられる椎の樹、山茶花の茂る小山の麓に在って、此の森には杜鵑より山鳩に至るまでの各種の鳥が居た”とある。山鳩はアオバトだろうか?
 アヲバト図を描いた水谷豊文とは江戸参府の途上に会ってアオバト情報を得ていた可能性もある。大磯通過は海水吸飲を見るには時季が合わなかったかもしれない。鳴滝でアオバトの声をシーボルトは聞いていたのだろうか。
 シーボルトコレクションを基に書かれた『日本動物誌第二巻鳥類編』には200種あまりの鳥類が記述されているという。
 なにか発見があるかもしれない。読んでみたい。
 ※3月9日の記述に“雪のように白い小さいアトリの一種”のことが触れられているが、『野鳥』2002年3月号の「とっておきの一枚」にアトリのアルビノの写真があった。シーボルトが目撃したのはこのようなアルビノだったのかもしれない。

 

参考文献
久保順三 1991: 日本鳥名ノート 
    鎌倉自主探鳥グループ
板沢武雄 1960:  人物叢書 シーボルト 
    吉川弘文館
大森實 1997:  知られざるシーボルト 光風社
シーボルト 1922:  日本植物誌 
    解説・木村陽二郎/大場秀章 八坂書房
ジーボルト 斎藤信 訳 江戸参府紀行 
           東洋文庫87 平凡社
呉秀三 シーボルト先生 2 その生涯及び功業
           東洋文庫115 平凡社

 

 

[ボランティア募集:フランス語→日本語訳のお願い]

シーボルトが1823-1829年間に採集した膨大な動物標本は、日本人絵師が描いた下絵をもとに、ライデン博物館の3人の研究者により、日本動物誌 (Fauna Japonica)刊行されました。この文献が京都大学の電子図書館にあります。このアオバトの記述を何方か日本語訳していただけないでしょうか。

京都大学電子図書館の中にある日本鳥類図鑑のページ
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b05/aves.html

このページを日本語に!→アオバトの本文のページ

http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b05/image/01/b05s0110.html

 

連絡先:大坂英樹 (2002.03)

 

下訳:大磯の山村氏が下訳を付けてくださいました。誤りなどありましたらご指摘ください。 下訳(2002.03)