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亜種“日本”の独立性

私のアオバト仮説 その11

田端
2002.08.18

 小樽の佐々木勇さんが1986年に自費出版された『あおばと』という貴重な本をお借りすることができた。  アオバト研究の先覚者である佐々木さんの記述から大いに学ぶところがあった。

 新たな知見が知らされ、仮説がふくらみ、新たな仮説を呼び込んだ。  その後の調査、研究でも新発見があったので、ここで大きく育った“仮説の樹”の枝おろしをして、いっぺん、仮説の整理をしておこう。

亜種“日本”は地理的に独立していた

 沖縄ではズアカアオバトが留鳥で、アオバトは迷鳥。  Douglas W.Mc Whirterほか(1996)で、調査結果が示されている。沖縄でアオバトと記録されていたのはズアカアオバトのようだった。

 仮説その一でD. Gibbs, et al. 2001: "Pigeons and Doves -A Guide to the Pigeons and Doves of the World"  Pica Press からアオバトの分布図を引用させていただいたが、これは訂正しなければならない。

 北はサハリンまでも生息範囲を広げた亜種“日本”は、南西諸島の孤をたどっていくと南は屋久島で記録が途絶えている。

 その先は近縁種のズアカアオバトが屋久島から奄美、沖縄本島、宮古島、石垣島、西表島、与那国島と琉球弧の島々に棲み、台湾では南端で稀に記録されている。

 そしてその台湾ではアオバト(亜種“台湾”)が東部山稜地帯で、留鳥として普通に見られている。  中国本土では、アオバト亞種“中国中部”は留鳥で、山西省南部、四川省東部。 亞種“中国南部”は留鳥で貴州省綏陽県、広西壮族自治区、海南島に分布し、2亞種とも中国の生息状況は“very rare”とある。  中国本土にはズアカアオバトは生息していないことは、仮説その一で述べたとおりである。

 私たちのこれまでの研究調査では、世界のアオバト類の中でただ一種、アオバト Treron sieboldii、それも日本特産の亜種“日本”Treron sieboldii sieboldii だけが海水を飲むことになるのだ。

小樽市の佐々木勇さん が アオバトの海水吸飲行動の最初の目撃者

 私の調査では昭和12年の清棲幸保氏の照ヶ崎海岸での目撃記録がこれまで最初だったが、小樽市の佐々木勇さんが、実は海水吸飲行動の最初の発見者だったことがわかった。

 昭和3年張碓海岸で、佐々木さんは地元の狩猟者・浪花誠二郎氏と議論していた。 佐々木さん自身も銃砲火薬店の店主であり、猟友会事務所も置かれていて、アオバトを狩猟していた。 佐々木さんはアオバトが海水を飲んでいることに気づき驚いたが、当時は張碓の人たちは“岩虫をアオバトが食べている”と信じきっていた。 佐々木さんは誠二郎老人に“飲んでいる嘴をよく見なさい”といい、“なるほど岩虫ではない、たしかに海水を飲んでいる”と納得させたという挿話が佐々木勇(1986)に記されている。  私はこの話を読んで、はっとした。

 大磯町の海沿いの老人がたに私がアオバトについて聞き取り調査をしていた時にも、二人の方から“アオバトは船虫を食べている”のだという話を聞いたことがあることを思い出した。このお二人にはよくよく確かめたら“そうではないか”との想像だったことが判明した。

 “海水を飲む”と聞いたら、人はエーッと驚き噂にもなるだろうが、船虫なら“へーそうか”で終わってしまうのではないか。  アオバトの海水吸飲がなかなか話題になりにくい理由がここにあったかも知れない。

アオバトが百万羽以上いたとは即断できない

 仮説その六の佐々木勇さんの主張を再録する。

 「アオバトがまだ狩猟鳥であった最後の年の、昭和21年のハト類の全国の捕獲数は186万2,388羽であるが、翌22年法改正によって、アオバトが狩猟鳥から除外され、キジバトだけしか捕獲できなくなった年の、キジバトの捕獲数は71万9,517羽であってこの差、114万2,871羽。  この百万羽余の中にアオバトの数が含まれてい るのである。

 従って、昔は全国で少なくとも百万羽以上のアオバトが生息していたのではないかと推測されるが、現在は激しく減少しているものと思われる。」 (アンダーラインは田端注記)  これでは今の時代のカラス並みにアオバトが当時生息していたことになる。

 佐々木さんを疑うようで申し訳ないが、さらに文献を求めて仮説その六のグラフの空白部を埋めてみた。昭和20年のハト類の捕獲数は101万羽だった。186万羽の21年と90万羽近い差があり、この数年間の変動が大きすぎることが左のグラフからも理解できる。

 この頃の状況に詳しい飯村武さんに伺ったところ“昭和20年前後は、第二次世界大戦のどさくさ時代で、国に於いても担当者は一人か兼務で、特に狩猟統計は狩猟者の申告に基づいて行われることも念頭に置かれた方がよろしい”とアドバイスいただいた。  終戦直後の数字の信憑性は別にしても、佐々木さんが訴えた狩猟によるアオバトの数の激減は事実のようである。  アオバトがわが国の山に多数いた時代、多数のアオバトの受難の物語は事実だった。  アオバトの数をかなり減少させた歴史については次号で述べる。

参考文献

  • 佐々木勇 1986 : 『あおばと』 自費出版
  • 環境庁自然保護局 1984   屋久島原生自然環境保全地域調査報告書 別刷
  • 武井修一 1975 石垣島・西表島鳥類目録 福岡教育大学野鳥研究会 
  • 上記文献内 早稲田大学生物同好会 1975 西表生物調査報告
  • Douglas W.Mc Whirter,池長裕史,五百沢日丸,庄山守,嵩原建二 1996   最近の生息状況と参考記録を含めた沖縄県産鳥類目録,沖縄県立博物館紀要 第22号