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冬のアオバトを追え

仮説が新しい仮説を生む(上) 

私のアオバト仮説 その17

田端
2003.03.09

仮説を立てて謎を追究していく中で新たな仮説がいくつも生まれてきた。新年にも当たるので、今月号と来月号に(上・下)2回にわたって、これまでの仮説の論点を整理しながら、新たに取り組んでいく課題を整理しておこう。【 】内は『高麗の鳥』に掲載されたときの仮説番号


分布と季節移動のデータをさらに蓄積していこう【 仮説1仮説11

 アオバトは4つの亜種に分かれるという説がある。亜種名を主な生息地によって次のように呼んでおく。

    1. Treron sieboldii sieboldii亞種“日本”
    2. T.s. sororius亞種“台湾”
    3. T.s. fopingensis亞種“中国中部”
    4. T.s. murielae亞種“中国南部”

 亜種“日本”は北はサハリンから南は屋久島まで記録されており、そのなかで多くは季節移動を行っている。この亜種“日本”は、他の3亜種とは、近縁の別種ズアカアオバトの生息する琉球列島で隔離されているように思われる。中村一恵さん(1980)も「ズアカアオバトの分布域をはさんで、再び台湾以南に同じ種が現れるという複雑な不連続分布を示している」とした分布図を示している。亜種“日本”亜種“台湾”とは形態的に違いがないとして同一亜種とする説もあるので、琉球列島の鳥種記録をさらに慎重に調査してみたい。また、台湾から中国南部までに分布する他の亜種の記録もまだまだデータ量が不足している。今後もデータを収集蓄積していくことが必要である。

亜種“日本”は、サハリンまで分布を広げた、アオバト属の中での北限の種であり、その特殊性にも注目していきたい。

冬のアオバトの地上採餌を見たい

その糞を拾って調べたい【仮説8仮説9

 亜種“日本”の生息域と食性について調べてみた。

 各地のアオバト情報を収集していくと、照葉樹林とブナ林がピックアップされてくる。丹沢のブナ林で私たちはついにアオバトの繁殖行動を継続観察し、記録することに成功した。この成果については今秋に神奈川支部研究年報『BINOS』に発表する予定だ。

 日本のアオバトは熱帯性(北半球では暖帯)の照葉樹林から温帯の広葉落葉樹林(ブナ林など)へと、北へ生息地を広げたと考えられるが、採餌記録を表にまとめて概観すると、その過程で食性に変化が生じたように思われる。

 冬季の和歌山では地上でドングリを採餌しているようで、近くの天神崎では海辺の照葉樹林で周年見られるが、冬季の海水吸飲は観察されていない。同様に冬季ドングリを食べるのを観察した名古屋の観察事例と合わせて興味深い。

 今回、私たちが収集した冬季の観察例が見られる地域を以下にリストアップしてみることにする。

 東京都 三頭山(山の西、山梨側)

    20、30羽の群れを見ることは稀でない。

 山梨県 身延など峡南地方で越冬

     (夏は高地や北部の広葉樹林で繁殖)

 愛知県 東山植物園 

     コナラ、カラマツ、ツバ キの林

 三重県 赤目四十八滝 明るい暖帯林

     草里野県民の森 秋から冬

 滋賀県 広葉樹林

 京都府 山林や社寺林

 大阪府 箕面 シイ、カシ天然林 

    11月上旬〜7月上旬 アカマツ林によく止まる 山岸(2002)では冬鳥

 兵庫県 六甲布引 アラカシ、ツバキ照葉樹林

     書写山(姫路) 

        アラカシ、シイ、ヒノキ混交林

 奈良県 低山の常緑広葉樹林 

      繁殖期は落葉広葉樹林帯(1000〜 1600m)

 和歌山県 常緑広葉樹林(冬は平地〜山地)

 山口県 森林性の冬鳥で少ない。

      市街地にも現れ、カシ林を好む

 徳島県 眉山 シイ、ホルトノキ、

        ヤマザクラ、コナラ、ムクノキなど

     高越(こうえつ)山 ブナ自然林 

        留鳥

 長崎県 11月〜6月に記録あり

 大分県 丸尾山公園 森林公園 留鳥

 宮崎県 行縢(むかばき)山 

        カシ、シイ、タブ中心 一年中

     宮崎神宮 シイ、カシ、ケヤキ、

         スギの森

     延岡近郊の祝子川 シイ、カシ自然林

        冬から春先まで

 鹿児島県 慈眼寺公園 針広混交自然林

        11月上旬〜3月下旬

      屋久島   山地 稀

 ところで、神奈川県ではどうかというと、記録は少ないがある。この冬はこまたんメンバーによる観察事例も増えているが、冬季の採餌例の観察はまだない。地上採餌の現場を観察したいものだ。そして、冬の森での液果摂取の競合種であるヒヨドリなどの食性との関連からも、糞が拾えたら何の実か調べてみたい。

 浜口さんから「伊豆のウバメガシの林などおもしろいかもしれませんよ」と“煽動”された。<アオバトはたくさんいたんだ 

もうこれ以上減らすな

保護策を検討しよう【仮説6仮説12

 鳥獣統計の過去のデータを調べてみたが、重要統計数字が散逸してしまっており、狩猟統計の統計数字の信憑性にも疑問があった。

 生息数の減少をはっきりとした数値で物語ることは困難だが、昭和年代の文献のなかから<アオバトについての記述を集積していくとアオバトの大量殺戮の歴史が浮かび上がってきた。

 “明治の中頃までは同じ木の下で一日に80羽くらいアオバトをとる猟師があり、小樽の店で売られていた。あんまり撃ちすぎたため、とうとう弾丸でハチの巣みたいになって枯れた木もあった。猟師の間では「馬鹿鳥」という方言ができたほどである。

 本州の南部、九州地方のアオバトの多く生息する地方では、アオバトのみを狩猟したいという目的のみで、狩猟免状を受ける者さえもあったくらいだというから、いかにアオバトは容易にたくさん獲れたし、食料としても魅力ある鳥であったかを物語るものであった”とは小樽市の佐々木宏氏の証言である。

 “狩猟圧”は最近においてはかなり低減されたと思うが、主たる生息地になっている照葉樹林帯が開発によって消滅していったことがアオバトたちにとって大きな打撃となったことは否めない。

 私たちはまだまだその生態を把握しきってはいないので、季節、成長に伴った全生活史を調査して、残されている低地の照葉樹林などに対しても適切な保全策を打ち出していくべきだと感じた。

アオバトがいた証拠は? 

アオバトの文化史をさぐる【仮説5仮説7仮説10仮説11

 アオバトはいつ頃から日本にいたのか? という疑問を抱えて各種の記録を渉猟してみた。

 標本として一番古いものは、1823年から1862年の間にシーボルトが採集した剥製標本がオランダのライデン博物館に収蔵されていることを知って、ライデン博物館に問い合わせた結果、貴重な標本写真を入手することができた。

 文章として一番古い記録は、江戸時代前期の『本朝食鑑』であり、“山鳩”として、アオバトの特長が記述されていると【その五】に書いたが、その後、“やまばと色”という色名がアオバトの羽色をあらわしていることが判明し、11世紀前の『兼澄集』という歌集に“やまばと色”という記載があることがわかった。

 あをばとという名称は江戸初期から文献にあり、漢字表記の青※(セイスイ) は漢名である。※スイは隹+鳥 

 絵画については、尾形光琳(1658〜1716)の『鳩図』がアオバトを描いたもっとも古いものと考えていたが、これは模写した画であって、その原図は狩野探幽(1602〜74)の『鳥獣写生画』であると推定されることがわかった。ところで、海水吸飲の一番最初の記録は1937年の清棲幸保氏の大磯照ヶ崎海岸での観察記録と思っていたが、小樽市の張碓海岸で昭和3年(1928)に目撃した佐々木宏氏の記録がもっとも古いものとわかった。遠野物語などに登場する“マオ鳥”はアオバトを指しているものと思われ、こうしたアオバトと民俗 のテーマも今後調べてみたい。

 ※この項は「私のアオバト考」と題して、3月に刊行予定の『大磯町史 研究』に掲載されるので、ご笑覧下さい。

参考文献

  1. 中村一恵 1980: 「神奈川の鳥類相」日本野鳥の  会神奈川支部編 神奈川の野鳥 有隣堂
  2. 山岸哲(監修)2002: 『近畿地区 鳥類レッドデータブック』 京都大学学術出版会
  3. 屋久島環境文化財団 『屋久島の野鳥ガイド』